にぃたんミームまとめ
このコラムでは、坂井新奈に関するミーム系ツイートをまとめつつ、それらがどのような見立てによって成立しているのかを整理します。
最後には、なぜ坂井新奈がこれほどミーム化しやすいのかについても、個人的に考えてみます。
ミームになっていない単発のものもありますが、基本的には、坂井新奈があるシチュエーションにいたらどうなるかを表現したツイートを中心に集めています。
[[オフィスにぃたんについて]]という記事の最後に、坂井新奈に関するミームを載せていたのですが、数が多くなってきたので、独立した記事にしました。
便宜上、坂井新奈のことを「にぃたん」と書くことがあります。
にぃたんミームの分類
坂井新奈のミーム系ツイートは、大きく分けると「見立て型」と「パロディ型」に整理できます。
「見立て型」は、写真の表情や姿勢、衣装、背景などから、にぃたんが特定の場面や役割の中にいるように見えるものを指します。たとえば、パソコンのように見える大きな鏡を見つめる姿から「オフィスにぃたん」が生まれたり、何かを説明しているような手振りの画像から、議論や提案をしているような投稿が広がったりしました。
写真そのものに明確な設定があるわけではなくても、表情や仕草の一部をきっかけに、「この場面にいたらこうしていそう」という想像が自然に立ち上がる。そこに、見立て型ミームの面白さがあります。
一方の「パロディ型」は、既存の作品やネットミームの形式に、にぃたんを重ねることで成立するものです。スマブラの「参戦!」風の画像や、「素人は黙っとれ」のような既存ミームとの接続がこれにあたります。
この記事では、まず「見立て型」のミームを紹介し、その後に「パロディ型」のミームをまとめます。
見立て型ミーム
オフィスにぃたん
これが最初のミームでした。詳しくは[[オフィスにぃたんについて]]という記事を参照してください。
この見立ては、画面に向かう真剣な表情と、パソコンのモニターを見ているように見える構図によって成立しています。実際には大きな鏡を見ている写真ですが、その鏡がモニターのように見えること、そしてにぃたんがそれを真剣に見つめていることによって、「オフィスで何かを見ているにぃたん」というシチュエーションが自然に立ち上がっています。
そのため、このミームでは、にぃたんの画像と「にぃたんが見ている画面」を組み合わせる形のツイートが多く生まれました。資料作成中に見えるものもあれば、画像やWebページ、ゲーム画面などを眺めているように見えるものもあり、画面の中身を差し替えることでさまざまな派生が成立しています。
新人にぃたん
オフィスにぃたんが流行った少し後に投稿されたもので、オフィスにぃたんの派生であると当時は解釈されました。
以下は、にぃたんが新入社員のように、まだ何も分かっていないような振る舞いをしているように見えるツイートです。
ミーティングにぃたん
会社のミーティングで、にぃたんが相槌をしているように見えるツイートです。
これはどちらかというと松尾桜の画像が主体ではありますが、オチとしてにぃたんが効果的に使われているので載せます。
スクールにぃたん
にぃたんが学校の教室にいるように見えるツイートです。
番組内の「授業」という設定や制服姿に加えて、にぃたんの座り方、視線、少しむくれたようにも見える表情が、学校の教室というシチュエーションとよく噛み合っています。
同じ「スクールにぃたん」でも、授業中の一場面として見えるものもあれば、教室で起きている何かを見ているように見えるものもあり、画像ごとに少しずつ違う見立てが成立しています。
園児にぃたん
園児のにぃたんがお遊戯会で待機しているように見えるツイートです。
「スクールにぃたん」と近い系統ですが、こちらは授業というより、幼さや待機している感じが強く出ています。
ディベートにぃたん
にぃたんが真剣に議論をしているように見える画像を使ったツイート群です。
ハッシュタグや定まった呼び名はありませんが、同じ画像を使った投稿が複数あったので、ここでは「ディベートにぃたん」としてまとめます。
最初は、にぃたんに当たり前のことを言わせるツイートから始まり、その後、相手に提案したり、手のジェスチャーに合わせてそれっぽいことを言わせたりする投稿が生まれていきました。
その後、背景を差し替える方向にも派生し、討論番組のスタジオや賞レースの審査席のような、「発言すること」が求められる場面に置かれることで、にぃたんがコメンテーターや審査員として何かを述べているように見えるツイートも作られました。
シェフにぃたん
にぃたんがコックさんの格好をしている画像を使ったツイートです。
コック服という分かりやすい役割に加えて、手を下に向けている動きや少し得意げな表情によって、料理の現場にいるにぃたんとしての見立てが成立しています。
画像そのものに「何かを指示している」「何かを説明しようとしている」ような余白があり、厨房まわりのシチュエーションと相性の良いミームです。
パロディ型ミーム
大乱闘にぃたん
にぃたんが、スマブラのあの「参戦!」をやっているツイートです。
写真そのものの見立てというより、既存の作品・演出の型に、にぃたんを重ねることで成立しています。
素人は黙っとれにぃたん
目をつぶっているにぃたんと、鉄腕DASH由来の「素人は黙っとれ」ミームをかけ合わせたものです。
にぃたんの表情に、静かな圧や玄人感を読み込むことで成立しているパロディ型ミームです。
坂井新奈はなぜミーム化しやすいのか
ここまで見てきたミームの数を考えると、にぃたんは他のメンバーに比べてもミーム化されやすい人物だと言えると思います。実際、ハッシュタグが付くほどの広がりを見せたものから、特定の画像をめぐって複数の派生が生まれたものまで、その種類は多岐にわたります。
なぜこんなにミーム化しやすいのか。ここからは個人的な考察になりますが、ネットミーム研究の知見を借りつつ整理してみたいと思います。
ミームという概念について
そもそも「ミーム」という言葉は、進化生物学者リチャード・ドーキンスが1976年の著書『利己的な遺伝子』で導入した概念です。ドーキンスは、遺伝子(gene)が生物学的な複製単位であるのに対して、文化的な複製単位として「ミーム(meme)」を提唱しました。メロディ、キャッチフレーズ、服装の流行などが、人から人へと模倣によって伝わっていく様子を、遺伝子の伝達と類比的に捉えたわけです。
このドーキンスの概念をデジタル時代に再構築したのが、ヘブライ大学のリモア・シフマンによる『Memes in Digital Culture』(2013)です。シフマンはこの本の第6章で、ヴァイラル(共有による拡散)とミーム(模倣・改変による派生)を区別した上で、それぞれを成功に導く要因を整理しています。

その整理の到達点として提示されているのが、図にまとめられた成功要因のモデルです。シフマンは要因を3つの群に分けています。ヴァイラルにのみ効くもの(送り手の権威、配置、強い感情の喚起)、ヴァイラルとミーム両方に効くもの(単純さ、ユーモア、参加ツール)、そしてミームにのみ効くもの(模倣可能性、パズル/問題)です。
このうち、ヴァイラルにのみ効く要因(送り手の権威、配置、強い感情の喚起)は、新聞記事や政治キャンペーンの拡散を念頭に置いた要因なので、ここでは置いておきます。
また、両方に効く要因のうち「参加ツール」も、本コラムでは扱いません。シフマンが参加ツールという言葉で念頭に置いているのは、Kony 2012で事前に用意されたツイートを政策立案者に送る、といったキャンペーン側が用意するアクションポイントです。にぃたんミームの場合、これに対応するのはハッシュタグの存在や形式の明示といったものになりますが、これらはコンテンツ自体ではなく、ミームを起こす側(投稿者やファンコミュニティ)の采配の話です。「なぜ坂井新奈はミーム化しやすいのか」という問いに答える上では、坂井新奈という人物・コンテンツに内在する要因に絞るのが適切なので、参加ツールは扱いません。
残る4つの要因—単純さ、ユーモア、模倣可能性、パズル/問題—に照らして、坂井新奈を見ていきます。
単純さ(Simplicity)
シフマンは、シンプルなコンテンツほど、共有されやすく、模倣もされやすいと述べています。シフマンがミーム動画の分析で挙げているのは、出演者が1〜2人に絞られていること、編集が施されていないこと、背景が単純であること、伝えるアイデアがひとつに絞られていることなど、コンテンツ自体の構成のシンプルさです。
にぃたんミームの元になっている画像を見ても、この特徴は当てはまります。オフィスにぃたんの元画像は、にぃたん一人が大きな鏡を見ているという、シンプルな構図です。シェフにぃたんもディベートにぃたんも、にぃたん一人が画面の中心にいる、単純な構図の画像が使われています。複雑な情景やストーリーを背負っていないからこそ、見る側はその画像に別の文脈を乗せやすくなります。
ユーモア(Humor)
ユーモアは、シフマンによれば共有と模倣の両方を駆動する要因です。シフマンはユーモアを構成する要素として、遊戯性(playfulness)、不調和(incongruity)、優越感(superiority)を挙げていますが、にぃたんミームに関わるのは特に最初の2つです。
「にぃたんがオフィスにいる」「にぃたんが厨房に立っている」「にぃたんが討論番組で発言している」といった見立てそのものが、本来の文脈との不調和を含んでいます。シフマンはミーム動画の分析の中で、不調和(incongruity)の例として「人間と動物の並置」「男性的なものと女性的なものの並置」「音と映像のずれ」などを挙げていますが、にぃたんミームの場合は「にぃたんという存在と、本来そこにいないはずの場面との並置」が不調和の核になっています。にぃたんがその場にいるはずがない、という違和感そのものが笑いの源泉になっているわけです。
ただし、この不調和が成立するためには、そもそも「にぃたんはこういう人だ」という共通理解が前提として必要です。にぃたんが料理ができないことをみんなが知っているからこそ、にぃたんが厨房に立っているという見立てにズレが生じる。キャラが曖昧な人物だと、どこに置いてもズレが生じない、つまり不調和そのものが成立しません。
そしてこの不調和は、もう一つの要素である遊戯性とも結びついています。シフマンは遊戯性の説明でホイジンガの『ホモ・ルーデンス』を引いて、遊びを「日常生活から一時的に離れた、独自の傾向を持つ活動領域」として捉えています。にぃたんを別の場面に置く見立ては、まさにこの「日常から離れた遊びの空間」を作る行為で、見る側もその遊びに参加したくなる性質を持っています。
模倣可能性(Memetic potential)
シフマンはミーム特有の要因として、コンテンツ自身が「これは模倣できる」というシグナルを発していることを挙げています。動画では同じフレーズや動きの反復、写真では「すでにフォトショップで合成されたかのような見た目」がそれにあたります。要するに、見る側に「自分も真似できそう」「自分も便乗できそう」と思わせる性質を、コンテンツ自体が備えているかどうか、という話です。
先ほどユーモアの節で触れた「にぃたんはこういう人だ」という共通理解の話は、まさにこの模倣可能性に関わってきます。にぃたん自身のキャラクターが確立していること——普段はちょっと抜けていてあわあわしていたり、でも好奇心や向上心が強くて新しいことにどんどん挑戦していたり、まだまだ初々しさがあったり、仲間のことが大好きで一生懸命に頑張ったり、独特の言動でまわりを和ませたり——こうしたにぃたんならではの人物像が、ブログ、ひなあい、ミーグリといった様々な場面を通じて、おひさまの間で十分に共有されています。だからこそ、見立て型のミームを作るときに、「にぃたんならこのシチュエーションでこう振る舞うだろう」という具体的な予想が立てられます。
[[オフィスにぃたんについて]]で「最も良かったオフィスにぃたん」として紹介したツイートについて、「にぃたんがクリスマス会の告知を作るとしたらこうだろうという予想の解像度がやはりすごい」と書きました。あの解像度の高さは、にぃたんというキャラクターが確立しているからこそ成立するものです。キャラが曖昧な人物だと、どんなシチュエーションを描いても「いや、こんなことしないだろ」とも「わかる、こうするよね」とも思えず、ミームを見る側にも作る側にも反応が起きません。
つまり、「にぃたんはこういう人だ」という共通理解が形成されていることそのものが、ミームを作る側にとっての模倣可能性のシグナルになっています。シフマンが言う「コンテンツが模倣のための指示を含んでいる」という性質は、にぃたんの場合、画像そのものではなくキャラクターという形で、ファンの間に共有されているわけです。
パズル/問題(Puzzle/problem)
シフマンが最も重視するのが、この要因です。コンテンツの中に何らかの「不調和」「未完成」「埋めるべき空白」があり、見る側に「埋めたい」「解きたい」「ツッコみたい」という動機を与えることです。シフマンは章末でこう結論しています—「不完全・未完成・素人っぽい・奇妙なコンテンツこそが、見る者にギャップを埋めさせ、パズルを解かせ、写っている人物をいじらせる」。"bad" texts make "good" memes(「悪い」テキストこそが「良い」ミームを生む)、というわけです。
オフィスにぃたんの元画像で言えば、まずは「なんとも言えない表情」がパズルでした。怒っているのか、戸惑っているのか、考え込んでいるのか、一義的に決まらない。だからこそ、見る側が文脈を補いたくなります。
そしてもう一つ、より具体的な問題が、鏡をモニターに見立てた瞬間に生まれました。にぃたんが何かを真剣に見つめている、という構図が成立したことで、「何を見ているのか?」という問いが立ち上がります。元画像にはその答えがどこにも書かれていない、まさに「埋めるべき空白」です。実際、オフィスにぃたんミームの派生ツイートが「モニターの中身を差し替える」形式に集中したのは、この空白を埋めようとする動きが起きたからだと言えます。
これはオフィスにぃたんに限った話ではなく、ディベートにぃたんの「何かを説明しているような手振り」も、シェフにぃたんの「手を下に向けている動きと少し得意げな表情」も、すべて「何が起きているか一義的に決まらない」という共通の構造を持っています。決まりきった表情・決まりきったポーズの画像はミーム化しにくい。にぃたんの画像群が頻繁にミーム化するのは、この「解釈の余地」が常に残されているからではないかと思います。
にぃたんの「いじりやすさ」について
ここまではシフマンの理論に沿ってにぃたんを見てきましたが、もう一つ、にぃたんに固有の論点として触れておきたいことがあります。それは、にぃたん自身の性格的な部分が、ミーム化を呼び込む性質を持っているのではないか、ということです。
シフマンはユーモアの構成要素のひとつとして「優越感(superiority)」を挙げていました。Star Wars Kidのような、不完全さや失敗が映り込んだコンテンツに対して、見る側が「自分の方が上」と感じて嘲笑的に模倣する、という現象です。
にぃたんの場合、これに似た構造はありますが、向きが違います。にぃたんの「できなさ」「あわあわしてる感じ」「初々しさ」は、見る側に優越感を抱かせるというより、「いじってあげたくなる」「かまってあげたくなる」感覚を呼び起こすタイプです。シフマンが論じていたような嘲笑とは違う、もっと愛着を伴った関わり方です。
そして、これは前のセクションで触れたパズル/問題の議論とも繋がってきます。にぃたんの性格の中にある「未完成さ」や「不完全さ」が、見る側に「補完したい」「ツッコみたい」という能動的関与を引き出している、という構造です。画像の中に空白があるからミーム化される、というのはシフマンの言う通りですが、にぃたんの場合は性格そのものの中にも、おひさまが埋めたくなる空白がある。これがにぃたんがミーム化されやすい一つの大きな理由なのではないかと思います。
ただし、この「いじりやすさ」がミームとして健全に成立するには、いじる側の節度が必要です。[[オフィスにぃたんについて]]でも書きましたが、にぃたんの「できなさ」をいじる形のミームには、本人が見たらどう思うだろうか、というモヤモヤが常につきまといます。にぃたんがその気持ちを受け止めてくれて、しかも親御さんまで楽しんでくれているからこそ、おひさまも安心していじることができる。にぃたんミームの成立には、画像や性格の特性だけでなく、この受容の関係が欠かせないのだと思います。
おわりに
にぃたんがこれほどミーム化しやすいのは、にぃたんという人物・コンテンツの中に、ミーム化を呼び込む要素がいくつも重なっているからだと思います。画像の構図がシンプルで別の文脈を乗せやすいこと。にぃたんがその場にいるはずがない、という不調和そのものが笑いの源泉になること。にぃたんのキャラクターがおひさまの間で共有されていて、「にぃたんならこうする」という予想が立てられること。画像の中に「埋めたい」と思わせる空白があること。そしてにぃたん自身の性格にも「補完したい」と思わせる未完成さがあること——これらが重なっているからこそ、見立てが見立てとして成立し、ミームが次々に生まれていくのだと思います。
そして、これらの特性が実際にミームとして成立するためには、最初に気づいた人がいて、それに乗ってくれる人たちがいて、にぃたん本人とその家族がそれを受け入れてくれる——この共同体的な土壌が欠かせません。にぃたんミームは、画像と人物の特性、それを面白がるおひさま、受け入れてくれる本人と家族、この三者が揃って初めて成立しているのだと思います。
これからも、にぃたんの新しいシチュエーションを想像していけたらと思います。
おまけ
絵師さんがにぃたんミームに関するツイートをしていたので紹介します。
ディベートにぃたん
これはオフィスにぃたんとディベートにぃたんを掛け合わせたツイートですね。
